映画「モンテッソーリ子どもの家」を見ました。
こちらは、フランスのモンテッソーリ子どもの家のドキュメンタリー映画。
友人から話を聴いたり、本を読んだりしてモンテッソーリ教育について少し勉強していましたが、実際の様子は知らなかったので、いろいろ発見があり、考えさせられ、感動した映画です。
考えさせられたポイントをまとめてみました。
なにか発見したときや、できるようになったときの子どもの表情
なんてきらきらして、未来を感じる表情なんだろう。
ヘレン・ケラーが「水」を理解したときのような感動的な出来事は子どもの日常には溢れているのかもしれない。
先生も子どもも穏やかに話していることが衝撃的
朝夕の保育園ではやはりバタバタしていたり、にぎやかなので大きな声で話さないと聞こえない状態しかしらないことが多い私。
集中している状態ならば、普通にというか、むしろ小声で話すくらいで通じるものだと理解した。
注意をひこうと大きな声をだす必要はない。
逆に大きな声でこちらの言うことを聞かせるのはなにか違うのではないか。大きな声を出す前に、こちらに注意を向けてもらうことを面倒くさがってはいけない。ちょっと離れたところにいる子どもに話しかけるなら、近づかないとなと反省。
友達の絵を見て評価した子に先生がかけた言葉
評価を意見を求められていないなら、あなたはそれについて意見を言う必要はない。その絵がどうなのかを決めるのは書いた本人である。
子供だからといって説明を省いたりしないきちんと伝える。
なぜそれをすべきでないのか、をきちんと説明する。
説明するためには、大人自身が「なぜそうなのか」をしっかり理解している必要がある。大人自身も考えることを放棄してはいけない。
ついつい、日常生活のなかで考えることを放棄していることが多いのではないだろうか。
子供の質問に考え込んでしまうことが最近多いので、考えることを放棄してるのではないか?と感じました💦
観察することが子供のことを考える土台になる
家にいる時に自分が子供のことを真剣に見ている時間はどのぐらいあるんだろう。
片手間に見るのではなく子供のことを真剣に観察する時間、子供に集中する時間というのを作っているだろうか。
ぶっちゃけ全然取ってない気がする💦自分のやりたいことをやろうとすると、観察するという自分が主体的に何も動かない時間がすごく苦痛な気がして・・・
でも、やらなければならない他の事を削ってでもこの時間は取った方がきっといいのだろう。
そして多分ものすごく長い時間取らなければいけないわけではなく、ここぞというポイントを確認できるくらいの時間があれば良いのではないか
興味を持ったタイミングで適切に援助することができればそれは確実にその子のエネルギーになる
主導権は子供にあり大人は受身であるべし
子供は自分がやりたいことを自分で決めることができる。
大人が子供が何をするかを決めてはいけない。
子どもの決定を尊重し、子どもを信頼することのわかりやすい実例。
日常生活の中でも子ども自身が決めたことは尊重しようと改めて決意。
子供が集中できる環境を整えることが先生のやること
息子が集中できる環境が整っているのか、帰宅後気になりました・・・!息子が遊ぶ部屋はあるけど、大人の荷物もたくさんあるし、雑然とした感がすごい。
自宅なので、全く同じでなくともいいとは思いますが、余計なものが視界に入らず自分のやりたいことに集中できる空間があったらどんなにいいだろう。
私も色々見えると気が散るので、子どもの家のような環境は理想的。
今後の家の環境作りの参考にしたいです💖
こどもは、一人でやりたい
自分でやることによって自分の能力に気が付くことができる。
常に助けを必要としているのではなく、自分でできる。
一人でできると信頼することも、愛。
子どもを尊敬し、横の関係を築く

全体を通して、子どもを一人の人間として尊重・尊敬して接し、横の関係を築いています。
命令するのではなく、子ども自身が決める。
これは勇気づけの接し方そのもの。
子どもに対して「尊敬する」って??
と最初はわかりにくいのですが、モンテッソーリ教育の具体的な接し方を見ると「こういうことなのかな」と生活に取り入れやすい。
子どもの発見する力、感じる力など、大人から尊敬すべきところも沢山あります。
普段の生活のなかで、子どもに対する尊敬・尊重の気持ちや信頼を伝えるヒントが沢山つまっていた映画でした✨
またゆっくり家で見たい!
ちょっとした気付きと毎日がラクになるヒント見つかったら嬉しいです。
コメント